大阪城周辺散策〜大村益次郎寓居(漏月庵 )跡

大阪城周辺散策〜大村益次郎寓居(漏月庵 )跡

松田成弘堂の前の南北の通りは善安筋という名前がついている。
今は、私も社員もお世話になっているのりおかクリニック(旧古川医院)さんがある。
大阪市中央区徳井町1丁目2-2。 古川宏太郎先生建立。

何時の頃からNHK大河ドラマを見るようになったかと思い起こすと45年も前の「花神」司馬遼太郎作であったと思う。大村益次郎が主人公であるが、吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作など長州藩の個性豊かなメンバーの活躍に私はとてもこころを動かされた。この頃より幕末ものの作品の大ファンになった。

大村益次郎が村田良庵(すぐ後に蔵六)と名乗っていた22歳のころに来阪して緒方洪庵の適塾に入門して塾頭まで務めることになる。そのころにこの場所から適塾に通っていたようである。

元々、医者を目指して勉学に励んでいたが、蘭学や蘭式兵学の知識を認められ長州藩と新政府で近代陸軍兵制の礎を築こうとするが、道半ばで不平士族の反感をうけ京都で襲撃を受けた。その後、今の国立病院機構大阪医療センターの場所(浪花仮病院)で治療を受けるもその甲斐がなく亡くなることになる。

この石碑に、「初めて構えた居宅を愛し、ひさしのすき間から見える月の美しさに感動して「漏月庵」と名づけた」と書かれている。尊敬する緒方洪庵の教えを受けて、これからの人生に希望をもった多感な若者の心持ちがとても感じられる。

Comments are closed.